
フェラーリ初のEVが問いかけるブランドの本質――なぜ市場は「ルチェ」に戸惑ったのか
フェラーリは2026年5月、同社初となる完全電気自動車「ルチェ」を発表した。デザインは著名デザイナーのジョニー・アイブ氏が手がけ、4基のモーターによって1,113馬力を発揮する高性能モデルである。価格は約64万ドルに設定され、開発には5年の歳月が費やされた。ベネデット・ヴィーニャCEOはこの発表を同社にとって極めて重要な節目と位置付けた。
しかし市場の評価は必ずしも好意的ではなかった。発表後には株価が下落し、一部のアナリストからは「これまでのフェラーリの精神性から大きく離れたモデル」との指摘も聞かれた。SNS上でも、その静かな存在感や独特のデザインに対して戸惑いの声が広がった。
こうした反応の背景には、単なるEV化への抵抗ではなく、「フェラーリらしさ」が希薄になったとの印象がある。実際、自動車業界では電動化そのものが問題視されているわけではない。たとえばポルシェのEV戦略は当初から市場の期待を集めた。今回の議論の中心は、電動化ではなくブランドアイデンティティとの整合性にある。
ルチェは従来のフェラーリに見られた攻撃的なシルエットや圧倒的な存在感とは異なり、穏やかで抑制されたデザインを採用した。発表車両のカラーもフェラーリを象徴する赤ではなく淡いブルーであり、「跳ね馬」のエンブレムも控えめな扱いとなっている。さらに車名の「ルチェ」はイタリア語で「光」を意味し、従来のF40や812スーパーファストのような力強いネーミングとは対照的な印象を与えている。

新しいカテゴリーほどブランド資産を強調すべき理由
ブランドが新市場へ参入する際、多くの企業は新しさを演出しようとして従来のブランドコードを弱める傾向がある。しかしブランド戦略の観点からは、その発想は必ずしも正しいとは限らない。
むしろ新しいカテゴリーに進出する局面こそ、企業が長年築き上げてきた独自のブランド資産を積極的に活用することが重要になる。消費者にとって未知の製品であればあるほど、「これは確かにあのブランドの商品である」という安心感が求められるためである。
その代表例として挙げられるのがエルメスである。同社はプレタポルテ市場へ本格参入した際、伝統的な乗馬文化との結び付きを弱めるのではなく、むしろ強調した。ショー会場やコレクションの世界観には馬術文化が色濃く反映され、一貫したブランド体験が維持された。その結果、新領域への進出でありながらエルメスらしさを失うことなく高い評価を獲得した。
Appleも同様である。2015年にApple Watchという全く新しいカテゴリーの商品を投入した際も、製品デザインやユーザー体験にはApple特有のミニマリズムやタイポグラフィ、インターフェース思想が徹底的に反映された。消費者はそれを見て直感的に「Apple製品」と認識できた。
さらにBurberryも、デジタル空間やメタバースへの展開においてブランドの象徴であるトレンチコートやノヴァチェックを積極的に活用した。技術革新のために伝統を捨てるのではなく、ブランドの本質を新しい環境へ持ち込んだのである。

ジャガーとフェラーリに共通する課題
今回のフェラーリをめぐる議論では、2024年に大規模なブランド刷新を行ったジャガーとの類似性を指摘する声もある。ジャガーはEV中心の未来を掲げる中で、長年培ってきたデザイン言語やロゴ、ブランド表現を大きく変更した。しかしその結果、多くの消費者がブランドとの連続性を見失い、混乱や批判が生じた。
フェラーリもまた、新技術への対応を理由に従来の表現から距離を置こうとしたように見える。しかし、電動化という大きな転換点だからこそ、フェラーリらしさを従来以上に明確に打ち出すべきだったという見方も成り立つ。
仮にEVであっても、一目でフェラーリと認識できるシルエットや大胆なスタイリング、強烈なネーミング、象徴的な赤の演出などを維持していれば、市場の受け止め方は違った可能性がある。さらに初のEVとしては異例の5人乗りレイアウトも、従来のスポーツカー中心のブランドイメージとのギャップを広げる要因となった。
ブランドが未知の領域へ挑戦する際、消費者は技術的な革新以上に、そのブランドが持つ本質的な価値を求めている。エルメス、Apple、Burberryはその点を理解し、新たな挑戦とブランドの一貫性を両立させてきた。一方でフェラーリやジャガーは、変化を優先するあまり、長年築き上げてきたブランドコードとの接続が弱まったとの見方もできる。
消費者が「ルチェ」に違和感を覚えた理由は、電気自動車だからではない。むしろ、多くの人々が期待したのは、未来の技術をまといながらも、誰が見てもフェラーリと分かる一台だったのである。ブランドの本質をどこまで守りながら変革できるか。その問いは、電動化時代を迎えたすべてのプレミアムブランドに共通する課題となっている。(出典:ADWEEK、画像:フェラーリ)
















