ブランディングの現在と未来形〜カンヌライオンズ2025の潮流より

 広告祭からブランドの社会システム変革へ

世界最大の広告・クリエイティブの祭典であるカンヌライオンズは、かつて「映像とコピーの祭典」と呼ばれ、広告代理店の技とセンスを競う舞台であった。しかし2020年代に入ると、壇上に呼び出されるのは表現の華やかさよりも、ブランドが社会課題をどのように定義し、解決フレームを設計し、数値で検証したかを示したプロジェクトへと様変わりしている。そこではブランド価値創造の最前線を競うオリンピックの様相を呈しており、ブランディングの世界的な潮流についての多くの示唆に富む。

2025年の受賞作はその傾向を決定づけるものだ。AXAの「Three Words」は「”and domestic violence“(および家庭内暴力)」という3語を保険契約に上書きし、被害女性の避難費用を補償する制度を実装してダイレクト部門とビジネストランスフォーメーション部門の二冠を果たした。Doveの「Real Beauty」は20年にわたり自尊感情向上を掲げてきたが、2025年には生成AIが拡散する「非現実的な美のアルゴリズム」に介入し、Pinterestの検索結果自体を書き換えるというメディア・ハックでグラスライオンおよびメディアライオンズ最高賞を獲得した。

両者に共通するのは、短期的なブランド・キャンペーンではなく、ブランドが自社の事業資産と規模を梃子に“制度”を再設計した点である。ここに見えるのは、ブランド主体の価値創造がきわめて具体的かつ長期的なソリューションとして評価軸の中心に躍り出た現実だ。メディアでの一瞬の感動を競うのではなく、社会インフラの変革を何年も機能させ続けられるかが問われている。カンヌはブランドのソーシャルイノベーションの実験場へと地殻変動を起こしているといえよう。本稿では、カンヌライオンズ2025での注目される受賞作品を詳しく紹介しながら、ブランディングの現在と未来系について述べていきたい。

パーパスの持続性─Doveが20年かけて証明した「物語よりエコシステム」

ブランドの社会的役割が一過性のキャンペーンからエコシステム構築へ移行した代表例がユニリーバのDoveだ。2004年に「Real Beauty」プラットフォームを立ち上げてから、20年以上にわたる継続的な価値観の変革の取り組みはまさに圧巻だ。

当初は、女性の自尊感情を揺さぶる映像と広告が時代の空気を変えると信じられていた。しかし2020年代、フェイスフィルターと生成AIが歪んだ美を増幅し始めると、Doveは単なる啓発表現の域を超え、アルゴリズムそのものに手を伸ばした。Pinterestと共同開発した「Real Beauty Renovation」は、検索候補に多様な身体・年齢・人種の画像を優先的に提示し、ユーザーがピン留めするたびに美の多様性データが再学習される仕組みを埋め込んだ。

ここで注目すべきは、KPIが視聴回数やエンゲージメントではなく「プラットフォーム上の検索画像の多様性指数」と定義された点だ。ブランドがプラットフォームの中枢ロジックを書き換え、データが絶えず循環するシステムを組むことで、20年前に掲げたパーパスを、時代の課題へ連続的にアジャストさせたのである。

コンテンツは入口にすぎず、ゴールはUXとアルゴリズムの恒常的な再設計に置かれた。これこそ、今日のカンヌが評価する「パーパス主導のインパクトと継続性」だ。瞬間最大風速ではなく、10年単位で文化を修正し続けるレジリエンスが受賞の要件になりつつある。

創造的な社会インフラ整備の実現

チタニウム・グランプリを射止めたAXAの〈Three Words〉は、住宅保険約款に “and domestic violence” の三語を追加し、DV被害者がホテルへ即時避難できる補償を創設した。24時間ホットラインとAI 連携の配車・宿泊手配で半年間に4,000件超の避難を実現、競合 5 社と仏政府の支援制度拡充を誘発した。

ここで注目すべきは、キャンペーンの成否を示す指標が「広告リーチ」ではなく「救済件数と制度改訂の波及」である点だ。AXA は補償利用データを月次で公開し、政策提言を行うNGOとAPI 連携。生活者・自治体・業界他社がダッシュボードを閲覧し、自地域の避難インフラを検証・改善できる構造を用意した。ブランドはもはや「リスク転嫁の保険屋」ではなく、社会インフラの“共同管理者”として位置づけ直されたのである。

カンヌの SDG (持続可能な開発)グランプリを射止めたNatura〈The Amazon Greenventory〉 は、環境保全と利益創出を両立させる新モデルを提示した。ドローンとAI 解析技術でアマゾン400 km²をスキャンし、樹木3万本を化粧品原料としてカタログ化。伐採せず剪定で成分を採取し、17の先住民コミュニティと利益を分け合った結果、年間粗利は 2,700 万ドルに達した。

ここでブランドが担ったのは「環境コストを減らす社会貢献者」ではない。データ技術と契約スキームを用い、森林を“守る方が儲かる資産”へ転換する経済のアップデーターだ。NaturaはGreenventoryのデータセットを部分公開し、他企業11社を巻き込んだアライアンスを発足。市場全体の調達行動を塗り替えることで、競争優位を“善い規範”に組み替えた。

サステナビリティが財務 KPI と並ぶ経営指標になるとき、ブランドはますます「開示→対話→改善」の速度で評価されるようになる。Natura が示した公開姿勢と巻き込み力は、社会課題をコストではなく“稼ぐ力”へ転じる具体策として多業界に波及していくだろう。

包括的プラットフォームとしてのブランド

グローバル・メガブランドだけが社会変革を担うわけではない。岩手発のスタートアップHERALBONYは、知的・発達障がいアーティスト150名以上の作品・約2,000点をデジタル資産化し、高級ホテル内装・百貨店・ルイヴィトン直営店のウィンドウなど “一点物のアートピース” として展開した。作品販売額の 40 %を作家へロイヤリティ還元し、平均年収を国の障害者福祉給付の3倍に引き上げた。カンヌではセミナー「Luxury for Everyone」を実施し、「美の定義を拡張し“社会的マージナルを新ラグジュアリーへ転位すべきだ」 と宣言。審査員は「市場構造そのものを包摂型に書き換えた革命」と評価し、グラス:変革ライオン で唯一の ゴールドを授与した。日本発のソーシャルクリエイティブがグローバルラグジュアリー業界を動かした象徴的ケースである。

ここから浮上するのは、ブランドの価値創造が“ローカルの周縁”でこそ鮮明になるという逆転だ。中央の大手に依存せず、自社が抱えるコミュニティと技術を組み合わせ、地方からダイレクトにマーケットを設計する。カンヌがヘラルボニーを評価したのは、美談性ではなく「ロイヤルティ契約と流通プラットフォーム」という制度デザインの革新性である。ブランドはテクノロジーと契約で社会構造を変え得ることを示したのだ。

またユニリーバのスキンケアブランド「ヴァセリン」は、ソーシャル&インフルエンサー部門とヘルス&ウェルネス部門の2冠となるグランプリを獲得した『Vaseline Verified』を展開した。

SNSに氾濫する“ヴァセリン活用裏ワザ”動画の真偽をブランド公式ラボが科学的に検証し、300以上のユーザー生成ハックを収集、実験で有効性を判定した上で「Verified」「Busted」の2種類に分類、結果を即日SNSで配信した。安全で有効なハックだけに認証マークを付与、危険な方法には警告を掲出した。TikTok、YouTubeなどで計12億インプレッションを獲得し、誤情報による皮膚トラブル相談件数を10%減少させ、期間中に誤情報削除率も21%改善、店舗売上は前年同期比17%増、ブランド好意度指標も8ポイント上昇したという。

ここではブランドは保湿製品の提供者から「肌と情報の安全を守るファクトチェッカー」へと役割を拡張し、消費者とプラットフォーム運営者の双方を巻き込んでエコシステムを形成した点が高く評価されたわけだ。

AIが拡張するクリエイティビティ─生成と証明の二重責任

2025年のカンヌでは生成AIのクリエイティブ活用についても大きな議論となった。影の側面として浮かび上がったのがブラジルDM9の受賞の剥奪事件である。生成AIを用いて架空の社会実装映像と成果データを作り込み提出したことが発覚した。他にも LePub サンパウロの「Followers Store」虚偽疑惑など、真偽が揺らいだ作品は十指に及ぶ。これらの出来事は、ブランドが「検証可能な信頼性」を持たなければ、価値を長期維持できないことを皮肉にも裏側から証明した。

主催者はグランプリを含む12の賞を剥奪するとともに、2026年エントリー以降の厳格なA I開示新規則を公表した。第一に、すべての出品者はAIの利用有無とプロンプト設計方針、学習データソースを詳細に開示する行動規範への署名が義務付けられる。第二に、主催者側が導入するコンテンツ検証ツール(クロスプラットフォームのリバースイメージ検索、合成音声判定アルゴリズム、メタデータ整合性チェック)によるスクリーニングに同意しなければ提出が無効となる。第三に、審査基準に「ディスクロージャーの完全性」という項目が追加され、AI活用の透明性自体がクリエイティブ価値として点数化されることになったのだ。

ここで明白になったのは、AI時代のクリエイティビティは「生成」と「証明」を同時に担う二重責任を負うということだ。ブランドはAIで表現の可能性を押し広げるだけでなく、真実性を保証する監査プロセスを内包しなければ、作品価値そのものが認められない。創造と検証をワンセットに運用する体制こそ、未来のブランド構築に不可欠なインフラとなる。

今年のカンヌを俯瞰すると、広告代理店が舞台の中央でスポットライトを浴びる光景は減り、ブランド自身が異分野のプレイヤーを束ねるオーケストレーターとなる構図が顕著だった。代理店はアイデアの供給源というより、ブランドの事業創造パートナーとして、またデータ解析や評価指標設計などハイレベルな専門タスクで価値を発揮するポジションへ再編されつつある。ブランドは単なる「広告主」から「制度のデザイナー」へと進化し、公共と民間を横断する交渉テーブルに直接着席する。

こうした動向は、広告産業の重心を制作工程から事業やガバナンス設計へシフトさせ、代理店にとっても存在意義の再定義を迫る。未来のクリエイティブは、映像編集ソフトではなく契約書やAPI仕様書の上で練られる時代に入りつつあるのだ。

未来型ブランド構築の羅針盤

カンヌライオンズ2025の示した潮流は、未来型ブランド構築の羅針盤となりうる。今日のブランドに求められる役割は、巧みな物語の創造から、社会システムを可視化し変革を促す触媒へとシフトしている。

そこでブランドに課された使命は二重である。第一に、社会課題を解くビジネスの仕組みを“自ら”創造し、市場に実装するエンジニアリング能力。第二に、その仕組みが本当に機能しているかを生活者と共に検証し、共鳴と支持を購買行動へ結びつけるコミュニケーション能力である。言い換えれば、ブランドは「価値観の共鳴装置」であると同時に、「行動変容を誘発するUI」へと進化しつつある。

未来のブランディングとは、社会システム自体を更新し続ける価値創造行為である。広告コピーはそのアップデート通知に過ぎない。制度が敷くレールの上を走るのではなく、クリエイティブな仕掛けでレールを分岐させ、旅の目的地ごと拡張する―それが資本主義の次章を牽引するブランドの姿であろう。

パーパスを長期にわたり機能させるためには、単発の物語ではなく、データ循環とUX を備えた「社会実装のエコシステム」を築く必要がある。また、包摂を起点とするローカル発ブランドの台頭が示すのは、メディア露出よりもコミュニティ内での経済循環が評価される時代への転換である。周縁からでも制度設計次第でグローバルインパクトを獲得できる時代なのだ。

そして、生成AIは表現領域を爆発的に拡張する一方で、真実性の検証責任を同時にブランドへ課す。DM9 の不正は検証プロセスを欠いたがゆえに賞剥奪に至った。今後は「生成」と「証明」を同一システムで運用する二層構造がクリエイティブの前提となる。こうした中、ブランドは行政・テック・クリエイターを束ねるシステムの建築家へ進化し、社会課題と事業資産を接続する事業創造・ブレイクスルー力と交渉力こそが未来の競争優位となる。

今日のカンヌで栄誉を手にするのは、こうした要件を満たし、社会システムに恒常的インパクトを与えるブランドである。広告はスクリーンの外へ飛び出し、人とテクノロジーと制度をブランドが束ねる“社会システムへの招待状”へと進化した。その潮流を鋭敏に映し出す鏡、それが21世紀第2四半期のカンヌライオンズであったといえよう。

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