「脱人間主義デザイン」の未来 ~世界一のアートスクールRCA(Royal College of Art)からみた、これからのデザイン

白詩佳のアバター

Contributor: HakuShika, Title Photo: RCA Students Photographer: Richard Haughton

英国ロンドン・RCA(ロイヤルカレッジ・オブ・アート)の現場から

筆者は現在、日本の広告会社を退職して、英国ロンドンのRCA(ロイヤルカレッジ・オブ・アート)でスペキュラティブデザイン(Speculative Design)を学ぶために留学している。

RCAはじめ世界のデザインスクールにおいては、いわゆる「Human-Centered Design(人間中心デザイン)」を超え、いかに社会や環境課題にアプローチしていくかが今日最大のテーマになっており、こうした視点で環境問題を解決するビジネス・アイデアなどが奨励されている。

筆者の通うRCAでは、そもそも「中心」という捉え方自体に潜むイデオロギーの問題や、これまでの人間の利便性や快適性を至上とする経済社会のあり方を積極的に批判していく姿勢が見られ、このスペキュラティブ・デザインと呼ばれる手法によって、常に人間以外の視点からモノを見ることが求められている。

日本人で同大学院のDesign Interactionを卒業したスプツニ子!さん、長谷川愛さん、福原志保さんなどが、積極的に現代の社会に問いを投げかけるアート作品を発表して注目を集めているが、この違った「視点を持つ」ことの重要性とアプローチについて、改めて解説してみたい。

図1 スプツニ子「生理マシーン、タカシの場合」 図2 長谷川愛「I Wanna Deliver a Dolphin…」 

たとえば課題として出された例に「身の回りの人間以外の視点(虫、動植物から、水滴、空気···といった意識を持たない無機物まで)を探し、その視点から見た世界を表現せよ」というものがある。初め対象を探すところから始まり、ターゲットを決めたら、ひたすらその「何か」の「生活圏」をマッピングする。対象が存在している「世界」が見えてきたところで、それを表現に落としていく、という手順である。

ここでは徹底的にその「何か」の目線を捉え、それになりきることが求められるのだ。一見ラディカルなアプローチではあるが、無意識のうちに我々に刷り込まれている西洋的な「中心」「原因と結果」といったものの見方を一旦捨て、新たな視点を獲得することが必要とされる。学習用の参考文献にも「モノになりきるとはどういうことか?」「生物たちから見た世界とは?」といった斬新なものがリストされている。

こうしたプロセスのポイントは「当事者意識」だ。人間以外の他者の視点になりきると、今まで関心のなかったことに当事者意識が生まれる。部屋は四角くて当たり前だと思っていたのが、虫にとっては本当に最適な形なのか?と色々と考え始めるようになる。

今日の環境問題など、大事な問題ほど大きくて目に見えづらく、当事者意識が持ちづらく解決が遅れている。人間視点の「イノベーション」や「経済成長」ばかりが優先されてきた状況を、他の生物やエネルギー源・自然の立場になって状況を考えさせることができたなら、問題解決へのモチベーションの源泉になるかも知れない、というわけだ。

「脱人間主義デザイン」をめぐる歴史的背景と転換点

こうした取り組みの背景には、西洋で長らく育まれてきた「ヒューマニズム(人間主義)」の思想を中心とした社会文化形成の歴史があり、今やそこからの発想転換が必要とされているからだ。

人間主義の思想においては、いつも人間の視点で「中心」が設定され、常に目的論的な「原因と結果」によって物事が捉えられてきた。そこでは歴史的に「中心」でないもの(自然や動物はもちろん、奴隷、白人以外の人種、女性・子供などマイノリティー、植民地や第三世界など)は利用可能であるとみなされ、中心である人々によって勝手気ままに搾取され、資源として利用されてきた。

その結果、今日の地球環境は取り返しのつかない状況にまで追い込まれ、今を生きる我々はその尻拭いを背負うことになり、経済成長の下に正当化されてきた数々の搾取や蛮行も、地球の限界:プラネタリーバウンダリーを迎えている。

図3 エコフェミニズム:環境破壊と女性の権利問題を両者とも「搾取」の構造によるものだと捉え、二つの問題を根本的な構造改革によって解決しようとする考え。図は筆者が実際にロンドンで訪れた、エコフェミニズムをテーマとした展示の様子

こうした状況打開のために、まさに大きな発想の転換を必要としているのだ。今まで「中心」でないとされてきた人々の地位の見直し、無限に利用可能とされてきた地球環境の有限性の自覚と、資源としてではなく共生すべき相手として捉えること。資本主義の成長メカニズムが回り続ける中で、状況は一朝一夕で変わるものではないが、こうした問題に向き合い、いかに解決策を導くかが、アート·デザインの領域でも最大の課題となっている。

さて、こうした「ポストヒューマニズム」「脱人間主義」的なデザインは、人間の利便性や快適性を中心に据えた、HCD(Human Centered Design)とは両立が難しいように聞こえる。
またそれゆえ、資本主義のビジネスや経済成長と逆行するように感じられるかもしれない。もちろん、直接的な便益や経済的利益を生み出す工業デザイン領域とは一線を画しており、スペキュラティブデザインの効果を商業的な価値として数値化することは難しい。

しかし、長い目で見るとこの新たなデザインの潮流は、今まで「太く短く」行われてきた経済活動を真にサステナブルに続けていけるよう転換するための、まさにターニングポイントと捉えることが可能なのではないか。

一部の「中心」の利益を考えて環境を破壊する非合理的から脱却し、地球という生態系全体を考えることによって、我々とその子孫に取り返しのつかない犠牲を強いないで済む方法を模索する。
短期的な利益を追いかけてしまう人間の性を乗り超えて、人類が次のステップへと進んでいくチャンスが到来したとも捉えることができるはずだ。

RCA(ロイヤルカレッジ・オブ・アート)でのデザイン評価基準

RCAでは学期ごとに作品を制作して評価を受けるというシステムになっている。ただし、評価基準は全学期を通して一貫した3点のみであるのが面白いところだ。同じ基準に沿いながら、各学期を経てどれだけレベルアップできるかが最終制作のクオリティに繋がるというわけだ。

その3つの評価基準とは「文脈」「テクノロジー」「コラボレーション」である。

まず「文脈」とは、主にリサーチをしっかりしなさい、ということでもある。単にリサーチといってもデザイン、哲学、社会学、サイエンスなど、当該のテーマに関わるあらゆる分野にわたって行うことが必要であり、どの分野から見てもイノベーティブで深い意義を持つようなデザインであることが理想とされる。

過去事例と被ってはいけないし、かといって作者の完全なる独自ワールドでアート性だけを追求するのも違う。現在進行形で進んでいる世界に対して、言葉だけに頼らない幅広いメディアを使いながら、大きな問いを投げかける。すぐに忘れ去られるような味気ない情報の伝達ではなく、作品の訴えが印象深く心に刺さることで、鑑賞者の世界の見方、ひいては行動を変えていくことが目指すデザインなのである。

図4 Richard Mosse「Broken Spectre」今年のArs Electronica(アートサイエンスの祭典)で最も注目を集めた作品の一つ。徹底した現地リサーチにより、環境問題の実態を鮮やかに炙り出す

次に「テクノロジー」について、これはどんな表現手法・メディアで発信しようかという話だ。情報体験デザインコースではあえて特定のメディアに限らず、テーマに沿ったベストな方法を探ることもコースワークの重要なミッションとなっている。

絵画、文章や詩、彫刻といった昔からある手法や、映像、写真、アニメーションといった比較的最近出てきた手法もあるが、生徒の間では今日的なインスタレーションがもっぱら人気だ。

これは、造形された作品単体のみならず展示空間も含めて作品とみなす手法であり、没入的な体験を生み出しやすい。また、科学的なデータを何らかのビジュアルやサウンドに変換したり、あるいは概念を伝える媒体を科学的な知識を使って新たに生み出したりするのも、テクノロジーの評価基準に含まれている。

図5 IED卒業生Rong Shi「Symphony of the Cosmos: Explorations on Planetary Molecular Music」宇宙空間データを光と音のインスタレーションに変換

最後に「コラボレーション」とは、デザイナー1人の力ではなしえないレベルに作品を仕上げるために、専門家に協力を依頼するという話である。

一見当たり前のような話ではあるが、生徒が内的動機で見つけたテーマについて協力を仰ぐのは案外簡単ではなく、何とかして意義のあるコラボ相手を探そうと、みんな必死にあちこちに連絡している。また専門家のみならず「鑑賞者を巻き込む」という手もあり、ワークショップという形式で特定テーマを複数人で掘り下げることも有効な手段だ。アイデアが生まれるのは一人の頭の中だったとしても、出ていく時には社会に揉まれるのがデザインであり、多くの視点が関わることでより意義深いものが生まれる可能性も高まるからだ。

図6 IEDチューターでもあるアーティストCharlotte Jarvis「Ergo Sum」自らの細胞を幹細胞として科学者たちへ提供し、アイデンティティとは何かを探る

新たなデザインに向けて:社会を変革するデザインとは?

さて、ここまで「文脈」「テクノロジー」「コラボレーション」が重視されると述べたが、より今日の社会に大きな変革をもたらすデザインとは何だろうか。

一つの答えは「多くの視点」から見て良いデザインか?と言えそうだ。これまでアート、サイエンス、社会、ビジネスなど人為的に分野が勝手に分けられていた中で、各々がベストを追求してきたが、これからは各分野の融合(つまりは、不自然な分断のない本来の姿)がキーワードになっていくように思う。

目指すはどんな分野の専門家から見ても意義深く、どんな鑑賞者から見ても興味深く、複数の示唆に富む視点が作品の制作に携わったデザイン。狭義にクリエイティブと呼ばれる範囲を超えて、大胆に分野を横断したイノベーションを起こしてくことが求められているのだ。

消費主義や短期的利益を加速し、環境や生態系破壊を促進してしまうサイクルを脱却するにはどうすれば良いのか?こうした問いは、Wicked Problem何が問題か分からない問題)」とRCAでもよく呼ばれるように、乗り越えるのは簡単ではない。

しかし複雑に絡み合った問題に対してデザインができることは、案外少なくないはずだとも思う。社会の現状を無批判に受け入れて悪循環を助長するのではなく、もっと意思を持つこと。
なんとなく正しいとされているものに合わせに行っても、面白いデザインは生まれないし結果評価もついてこない。求められているのは生半可に「良さそう」なものではなく、多様な分野からの深いリサーチに基づいた本物の「変革」なのである。

そのためには、鑑賞者の「行動を変える」という最終ゴールに正面から向き合い、常識に追随するのではなく新たな常識を発明する姿勢を持って、デザイナーとしてチャレンジを続けていきたい。

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