
海がつくる100年先の日本―ブルーエコノミー革命

Keisuke Konishi
“青い領土”のスケールが示す潜在力
筆者は現在、本業とは別に日本の漁業を支援する社団法人を運営している。その漁業の活動の現場で、日本の海の持つ自然資本のポテンシャルの大きさを改めて認識し、それが今失われつつある危機を肌で感じるようになった。
わたしたちは普段、「陸」を中心に暮らしている。道を歩き、山に登り、家を建てる。国境線も、法律も、経済も、ほとんどが“陸”の上に描かれている。だが、それはあくまで人間の都合に過ぎない。海は国土の”外”にあるとイメージする限り、私たちは日本の本質を見誤るかもしれない。
「海は、裏返った日本列島のもう一つの面である」と考えてみよう。海は地球の水や資源を循環させ、水産物やエネルギーを供給し、気候を制御し、命の連鎖を保ち、文化を編んできた巨大な基盤である。
そしてまぎれもなく、日本は海洋国家だ。われわれの住む日本列島は、陸地面積こそ約38万㎢と世界で61位の大きさだが、いわゆる排他的経済水域(以下、EEZ)は447万㎢に達する。この“青い領土”は、陸地の12倍を超える広大なエリアをカバーしており、世界でおよそ6位の規模だ1。日本は、海という巨大なエリアを持つ国なのだ。

日本の領海および排他的経済水域(EEZ):海上保安庁
日本列島には南北3,000キロに連なる6,852もの島が、約29,751kmの海岸線を刻み、そこに黒潮と親潮、津軽暖流、対馬暖流という、4大海流がぶつかり合う。その潮目には豊富な栄養塩が湧き上がり、植物プランクトンが光合成で固定する有機炭素量(水中に存在する有機物を構成する炭素の総量を指す)は世界有数の水準を保つ2。魚や他の生物の餌となるプランクトンも豊富に生息するため、世界的にも豊かな漁場を形成している。そして海に囲まれた島国である日本列島の多様性は、観光資源としても世界有数の価値を持っている。
海洋研究開発機構の国際共同調査によれば、日本近海で確認された海洋生物は33,629種に上るという3。世界の海洋のわずか1%あまりの面積に、世界の海洋生物の約14%が集中するという生命のホットスポットである4。こうした生物多様性は、食用魚介類はもとより、実は海藻多糖(アルギン酸、カラギーナン、フコダインなど)や極限環境微生物由来の酵素など、陸では作れない創薬・バイオマテリアルなどの機能分子を量産する“青い化学工場”でもある5。

そして日本の海は、鉱物資源の宝の山でもある。日本列島周縁には、深海底マンガン団塊やレアアース(希土類元素)泥が分布し、とりわけ南鳥島周辺の泥は、東京大学などの調査によると2,500平方キロの採掘でレアアースの世界需要を100年以上賄えるとの試算もある6。採掘技術はまだ未開発だが、現状の中国依存構造を根底から覆しうる規模だ(中国が日本のEEZにアクセスしようとする所以である)。
さらに海は、自然エネルギー源でもある。風の強い北海道日本海側や九州西方沖は浮体式洋上風力の有望海域で、再生可能エネルギー総合研究所によると洋上風力の技術的ポテンシャルの試算では、日本は952 GWに及ぶと報告された7。これは2023年末における世界の累積設置量75.2 GWの12倍以上であり、単独でEU全体の洋上風力計画を上回る、再エネ輸出国になり得る規模だ。まだ建設コストや技術的な課題、許認可などの問題も大きいが、政府が掲げる2040年45GW目標は、潜在力のわずか5%に過ぎず、投資余地の大きさが際立つ8。

最後に、言うまでもなく日本にとって水産物は重要な役割を果たしてきた。水産庁の統計によれば、生産量の減少が続く中、2022年時点で日本の漁業・養殖業の産出額は依然約1兆3000億円にのぼる9。さらに、水産加工業や流通、外食産業に至る関連産業を含めると、十兆円規模の経済圏を形成しており、地域の雇用を支える存在でもある。地方の漁村にとって水産業は依然として重要な基幹産業であり、観光業や地場産業との連携によってその再生が模索されている。
また、水産物は国の「食料安全保障」という観点でもきわめて重要である。日本は食料自給率が低い国であり、特に穀物や畜産飼料を海外に依存しているが、水産物に関しては、比較的高い自給率を維持してきた。だが2023年度の日本の「食用水産物自給率」は54%まで低下してしまった10。日本の歴史的な魚食文化の時代を見ても、持続可能な資源管理さえ実現すれば、海洋資源によって国内の食の安定を支えることに十分貢献しうるはずだ。
このように日本のEEZ全体を俯瞰すれば、海流・風力・鉱物・生物(海藻・魚介類)がモザイク状に重なった、多層の自然資本の潜在領域が浮かび上がってくる。これは日本の海洋が、「狭い国土」イメージとは裏腹に、世界のエネルギー転換・食料安全保障・グリーントランスフォーメーションの核心に位置することを示すものだ。生物と非生物、一次産業とエネルギー産業が同じ空間で絡み合う—これが日本の海洋資源ポテンシャルの真骨頂である。
日本の海について語るとき、今まで水産業やエネルギー・鉱物・ライフサイエンス・観光など、それぞれの産業や資源の性質のよってバラバラに管理・把握されてきた海洋資源を、改めて一つの大きな自然資本の重なりとして捉え直すことが必要ではないだろうか。
和食―海がつくり出した日本の食文化
ここまで経済的な観点で日本の海洋資源について述べてきたが、日本人にとってより重要なのは、文化的資源としての海の価値である。特に日本の食文化と水産物との歴史的なつながりは、単なる食材と料理法の関係にとどまらず、自然観や宗教観、地域文化、社会構造をも含んだ、日本文化そのものの深層に根ざす結びつきである。
石毛直道 『日本の食文化史』(講談社学術文庫)によれば、水に恵まれ、四方を海に囲まれた列島という地理的条件のもと、日本人は古代から多様な海産物を採取・利用してきた。とりわけ、魚介類は「生食」「保存」「供物」としての三つの価値軸において、和食文化の形成に不可欠な役割を果たしてきたといえるだろう。
古代日本において、すでに縄文時代の遺跡からは、魚骨や貝殻、漁具が多数出土しており、当時の人々が沿岸での漁撈活動を通じて豊富な魚介類を得ていたことがわかっている。特に干物や塩漬けといった保存技術は、日本の発酵文化の発祥となり11、魚の鮮度が命とされる現代の和食とは対照的に、長距離の運搬や保存を可能にするための知恵として磨かれていった。奈良時代の『日本書紀』や『万葉集』にも、サケやアユ、アワビ、シジミなどの記述が見られ、魚介類が朝廷への貢納品としても珍重されていた記録がある12。
仏教が伝来し、肉食が忌避されるようになる6世紀以降は、魚介類は貴重な動物性タンパク源として、ますます重要な地位を占めるようになる。仏教の戒律により、哺乳類や鳥類の殺生を避ける食文化が広がったことで、水中の生物、特に魚類が「許されるタンパク源」として強調され、和食文化の中核へと組み込まれていった。
この流れは、精進料理においても見られ、昆布に代表される植物性出汁とともに、魚醤や煮干し、カツオ節といった動物性の魚出汁もまた、日本人の味覚の根幹を形成する「旨味」の源泉として定着していった。中世から近世にかけて、漁業技術や流通網の発達により、都市部でもより多様な魚が食卓に上るようになる。江戸時代には、武士や町人たちの食文化の中で、寿司や天ぷら、煮魚、焼魚といった料理が登場する。
特に江戸前寿司(握り寿司)は、当時の江戸湾(現在の東京湾)で水揚げされるアナゴやコハダ、マグロなどを用い、握ってすぐ食べられる「ファストフード」として都市文化に革命を起こした。寿司の発明は、単なる料理法の革新にとどまらず、魚の扱い方、酢や醤油との相性、保存と風味のバランスに関する高度な知識の集積でもあった13。

江戸前寿司を描いた「縞揃女辨慶 (松の鮨)」歌川国芳、味の素食の文化センター蔵
また、日本の祭礼や年中行事においても、水産物はしばしば「海の恵み」としての象徴的な意味を持っていた。正月には昆布巻きや数の子がお節料理として食卓を飾り、節分には恵方巻き、春にはシラスやサワラ、夏にはハモ、秋にはサンマ、冬にはブリやタラといったように、季節ごとの旬の魚を取り入れることで、和食は自然と調和する「季節の暦」として機能してきた。これは単なる栄養摂取ではなく、自然の摂理と共生する日本の精神性の反映でもある。
さらに、日本料理における出汁(だし)の文化は、水産物と和食文化の不可分な関係を象徴している。カツオ節や煮干し(イワシ)、昆布は単なる味付け素材ではなく、日本の料理の味の基盤を構成する「うま味(グルタミン酸・イノシン酸・グアニル酸)」を生み出す三大成分を担っている。これは1908年に(味の素の起源となる特許を取得した)池田菊苗によって科学的に解明され、うま味が第5の基本味として国際的にも認知されるきっかけとなったが14、実際にはそれよりはるか以前から、日本人の舌と心には刻み込まれていた文化的記憶である。
このように、水産物は日本の和食文化において「素材」「味」「儀礼」「知恵」「自然観」のすべてにおいて中心的な役割を果たしてきた。2013年、ユネスコ無形文化遺産に「和食:日本人の伝統的な食文化」が登録された際、その背景には「自然を尊重する精神」と「多様な地域食材の活用」が評価されており、そこには間違いなく日本の水産物の歴史的意義が反映されている15。世界中で寿司ブームが浸透して久しいが、和食のこうした文化的資源の世界的な価値は、水産物の輸出においてもキーファクターになっている。
しかし今日、この伝統的なつながりが危機に瀕している。全国的な水産資源の枯渇、若年層の魚離れ、和食の簡略化やファストフード化といった傾向は、かつて海と共にあった暮らしの知恵を失いつつあることを示唆している。和食文化の本質を見つめ直し、水産物と向き合う姿勢を未来世代に継承することが、今後の日本文化の持続可能性を左右する鍵となる。水産物は、ただの食材ではない。和食文化の源流であり、日本人の精神的支柱の一つである。
変貌する海のリアリティ―弱体化する海洋資源基盤
こうした日本の海の可能性に影を落とすのが、海洋資源基盤の弱体化だ。魚食需要の高まりで世界のほとんどの国の水産業が成長を続ける中、日本の漁業・養殖業の生産量はピーク時の1984年には1,282万トンだったのが、2022年に392万トンと縮小し、半世紀を待たずして70%以上失われた16。東京海洋大学の勝川俊雄教授が指摘するように、このまま減少ペースが続くと2050年には漁業生産量がほぼゼロになるという水準だ17。

農林水産省「漁業・養殖業生産統計」(2023)より 漁業生産量の推移
漁業就業者もピーク時の1960年代には100万人を超えていたのが、2022年には12万3,100人にまで減少した。また漁業者の平均年齢も56.4歳まで高齢化し、継承や担い手不足が喫緊の課題だ18。長期不漁で燃油や餌の高騰を吸収する余地がなく、高齢漁業者が設備更新を断念して漁場を離れる、負のスパイラルが各地で進む。地魚や寿司に象徴される日本の魚種多様性が失われつつあり、地産の美味しい魚や寿司を楽しめなくなる日も遠くない恐れがある。
かつては「魚食大国」と称された日本だが、魚離れで消費量も減少し、魚介類の一人当たり消費量は2020年には世界で13位まで低下。さらに1964年には113%あった食用水産自給率は、2023年度には54%まで減少し19、主要な魚種の多くを輸入に頼っているのが現状だ。しかも世界的な水産需要の急増と円安で、日本は輸入水産物でも買い負けしつつある。
海洋環境の劣化はかつてない速度で進行しており、例えば藻場(もば)と呼ばれる海藻や海草が生い茂る場所が、全国で急速に減少している。藻場は「海のゆりかご」とも呼ばれ、多くの魚や貝が産卵や稚魚の成育の場として利用する場所である。海の森として陸地の森林と同様に重要なCO2の吸収源でもある藻場は、ブルーカーボンとして注目されており、カーボンクレジット(排出権取引)も拡大しつつある。だが世界規模で沿岸部の開発や気候変動、乱獲、環境汚染などが要因で毎年約7%が失われているといい、温暖化を加速する喫緊の環境問題として認識されている。日本でも環境省の調査によれば、過去30年間で日本沿岸の藻場は磯焼けなどで実に約40%が失われたとされる20。
気候変動はそのスパイラルを加速させる。日本近海の年平均海面水温は100年で+1.33℃と世界平均の倍速で上昇し、陸に置き換えれば人の体温が40℃を超える高熱に近い21。サバやイカの漁場は北へ、ブリの越冬域は東シナ海から太平洋側へ拡大した。2023年7月のJAXA衛星データでは、三陸沖で平年比+5 ℃超の海面水温異常を確認22。また2024年夏、熊本・鹿児島沿岸で発生した大規模赤潮は、養殖ブリ・マダイほか約1億3,000万尾を死滅させ、被害額は概算130億円に達した23。

JAXA:日本近海における2023年7月の平均海面水温の平年差分布
2024年夏には石垣島と西表島の間に広がる石西礁湖で平均白化率84%という歴史的規模のサンゴ白化が報告され、12月時点でも白化・死亡群体が過半を占めた24。海洋温暖化と酸性化が沿岸生態系を揺さぶり、観光と漁業の双方に連鎖被害をもたらしている。
海洋ごみも見過ごせない。環境省が2024年度に推計した河川由来のマクロプラスチック年間流出量は4,166トンに達し、都市化率の高い流域ほど流出密度が増すという相関が示された。漂着ごみの清掃費や漁網への絡み付き被害は、漁村自治体の財政と漁業者の安全を圧迫している。2016年にエレン・マッカーサー財団とWEFが発表した報告書によれば、現在のプラスチック生産と廃棄の傾向が続けば、2050年には海洋中のプラスチックの総重量が魚の総重量を上回ると予測されている25。

水産資源は回復できるのか?
政府が掲げる「第5次水産基本計画(2022〜2032)」26は、日本の水産業を持続可能かつ成長軌道に乗せ、疲弊した漁村を活性化するための国家指針を示している。計画では、①海洋環境変化を織り込んで資源を確実に管理すること、②持続性のある水産業の成長産業化を進めること、そして③漁業以外の産業も巻き込んで漁村(浜)全体を再生することの三本柱で構成されている。
具体的にはMSY(Maximum Sustainable Yield:最大持続生産量)に基づくTAC(Total Allowable Catch:総漁獲量)やIQ(Individual Quota:個別割当・漁業者・漁船・企業などの単位ごとに数量で割り振る制度)の拡張など資源管理を通じて、2030年度の漁獲量(養殖除く)を444万トン(2010年度水準:2023年は282万トンまで減少)に回復させるほか、大規模沖合・陸上養殖とICTによる高付加価値化で、水産物の輸出額を1兆2000億円(2021年の3,015億円の4倍)を目指し、また2032年度に食用魚介類の自給率を94%(2021年は54%)に回復していくことを目指している。市場と人材、生産規模が継続的に縮小し続ける中で、これは果たして実現可能な数字だろうか。
まず実現障壁として、欧州など先進国と比べた科学データの希薄さがある。MSY(最大持続生産量)に基づくTAC(総漁獲量)・IQ(個別割当)を拡張するには、リアルタイムの漁獲・生息量データが欠かせない。ところが電子ロギング(漁船がその場で漁獲データを電子的に記録し、通信回線を通じて陸上に送信する仕組み)装着率は2025年時点でまだ約35%、沿岸小型船ほど導入が遅れる。測定データの年単位のギャップも問題となっている。
そして気候災害リスクとインフラ老朽化の問題も大きい。海洋温暖化の影響で、赤潮と台風強度は増加傾向にある。対策船・港湾は多くの地域で1970年代の設計のままで、老朽化した防波堤は高潮に耐えられない。ICT・養殖投資が気候災害で一瞬に崩れるリスクも高い。更新工事と並行してデータ基盤・気候適応技術への比率を引き上げる財源リバランスが急務である。
さらに、人材と金融の流入不足は深刻だ。高齢の漁業従事者が先端ICTに対応するのは限界がある。気候リスクや漁獲量による価格変動など、投資家も収益変動が読みにくく資金を出し渋るため、水産物輸出の1兆円超えや、投資規模の大きい陸上閉鎖循環養殖(RAS:Recirculating Aquaculture System)27の拡大など、金融による後押しが欠かせない取り組み目標が空回りしかねない。さまざまな課題とリスクを抱える中、持続可能な海洋資源の再生と維持を、テクノロジーや金融、観光や教育など、水産業を超えて産業横断的に取り組んでいく必要がある。

陸上閉鎖循環養殖(RAS)の例:富士山麓ののサーモン養殖槽:プロキシマー
海の経済的・文化的価値を高めていくために
海に囲まれた日本にとって、海は生命線であり、資源供給の源であり、同時に文化と精神性を支える基盤である。しかし漁業資源の枯渇や沿岸環境の悪化、魚食文化の衰退、そして国民の海への関心の低下が進んでいる。こうした中で、日本人にとっての海の経済的・文化的価値を再び高めていくためには、単なる資源活用にとどまらない、多面的で統合的な取り組みが求められている。
第一に、持続可能な海洋資源の活用という観点が不可欠である。海は単なる採取場ではなく、再生の時間と秩序を必要とする生態系である。この点で重要となるのが「ブルーエコノミー(持続可能な海洋経済)」の推進である。ここでは既存の漁業のしがらみを離れ、産業横断的な視野で、未来からのバックキャスト思考が必要となる。
たとえばNIKKEIブルーオーシャン・フォーラム28では、海洋の保全と持続可能な活用を実現するため、日本が主導して「ブルーエコノミー・モデル」を構築する提言を、2025年6月に開催された第3回国連海洋会議(UNOC)で発表、大阪・関西万博の会場で世界に向けて発信する。そこではデータを統合したデジタル基盤を整備し、水産DX・海運脱炭素・ブルーカーボン創出・資源循環・地域金融を連動させる五つの変革軸を同時に走らせること、1兆円規模の海洋戦略基金でスタートアップと地域漁業を後押ししつつ、2030年に10兆円、2050年に50兆円市場を目指すロードマップ策定を目指している。
このように日本の海洋資源、とりわけ水産資源の価値を高めようという動きは、近年多方面で展開されている。水産資源管理制度の導入や、サステナブル・シーフード認証、漁業のスマート化、持続可能な陸上養殖や藻場再生など再生型漁業の拡大、GI(地理的表示)を活用した地域ブランド構築などの取り組みは一部では成果を挙げている。
しかし現場では多くの課題が噴出しており、これらを一過性のプロジェクトに終わらせないためには、制度の再構築と社会的な関与の広がりが必要である。たとえば、初めて水産資源管理を主な目的に2018年改正された漁業法で導入された、科学的な漁獲量管理は、制度上は画期的だった。しかし現実には、IQ(個別割当)の対象は漁獲量ベースで6割をカバーするTAC(総漁獲量規制)対象魚種のうち、定置網中心の沿岸中小漁業者が重要視する多獲雑多魚は網羅していない。電子ログによる記録も限定的で、操業記録は紙伝票や自己申告が主流というエリアすら残るのが現状だ。
最大の課題は、現場と制度、そして生活者との「非対称性」ではないか。たとえば、TAC制度や認証制度は科学的根拠に基づいて整備されているが、現場の漁業者にとっては「使い勝手が悪い」「コストがかかる」「恩恵が実感できない」といった声が根強い。さらに、漁協間での調整の難しさや、行政の管轄縦割り(国の水産庁、都道府県、港湾、観光など)の断絶により、海に関する施策は断片化し、持続的な効果を生みにくい構造となっている。そしてわれわれ生活者は、この危機的現状を知る機会がほとんどなく、海をめぐるメディアの報道も極めて限定的である。
このような制度疲労を乗り越えるには、海に関わるプレイヤーが「制度の外側から」連携する枠組みの形成が必要ではないかと考える。これはたとえば、漁業者、研究者、デザイナー、行政、観光事業者、教育者など多様な人材が「共通の問い」をもとに小さな試みを重ねていく“実践共同体”である。
たとえば、ひとつの港を舞台に、地域の魚を用いた新たな商品開発を料理人・漁師・学生が共同で行い、SNS発信や試食イベントで反応を得る。その結果をもとに次の改善策を立て、行政や大学と連携して展開を広げていく。このように、制度ではなく関係性を軸に広がるネットワークを構築することで、制度疲労を逆手に取るかたちで「関係性資本」が育まれる。
また、文化的価値の再評価においても、単なる「祭りの保存」や「魚食の伝承」では限界がある。重要なのは、それらの文化が生まれた背景にある「自然との関係性の知」を現代に翻訳し直すことである。たとえば、昔の漁師が観察していた潮の流れや魚の動き、海の色の変化、また旬の魚の扱い方といった身体知は、AIでは捉えきれないローカルな生態系理解の宝庫である。これらを現代のテクノロジーを活用しながら地域知を融合させる「アナログ・エコロジー」の再構築は、単なるノスタルジーではなく未来志向の技術革新となり得る。
さらに、観光との連携についても注意すべき点がある。多くのブルーツーリズムが「一次体験としての漁業体験」や「地魚レストラン」程度にとどまり、持続的な経済効果や関係人口の創出には至っていない。観光を“海を伝えるメディア”と再定義し、旅行者に単なる消費者でなく「応援者」や「参加者」として関与してもらう設計が必要である。たとえば、旅を通じてクラウドファンディングに参加できたり、コミュニティで生産者と関係を持ち続けられるような仕組みは、旅の記憶を地域との“関係”へと転換させる可能性を持つ。
日本人にとっての海の価値を高めていくとは、資源を守りながら経済を活性化させ、文化を継承しながら未来へとつなげていく「多層的な海との関係性の再構築」に他ならない。それは、単なる消費者として海産物を買い支えることではなく、主体的な当事者として海の未来に関与していくという、新しい市民性の提案でもある。
海の教育再構築─「共感する学び」から「行動する市民」へ
「海洋教育」という概念は、ここ数年で急速に社会的注目を集めつつある。とりわけ海洋環境問題や水産資源の持続可能性がメディアで少しずつ取り上げられるようになり、学校教育や博物館、市民活動の現場で「海を学ぶ」機会が増えてきた。しかし多くは「知識伝達」にとどまり、「行動変容」にはつながっていないという課題を抱えている。
現在の文科省の学習指導要領では、海は「教科横断テーマ」として小中高に散りばめられている29。理科・社会・総合学習に断片的に海が登場する一方、海そのものを「食・文化・産業・環境が絡み合う総合体」として捉え切れていない。漁業や水産加工、海洋資源開発、海に根ざす祭りや食文化など生活と経済に直結する側面は授業で深掘りされず、学習は潮の満ち引きや海洋ごみ問題など個別テーマで止まりがちだ。
その結果、生徒は海を身近に感じても、水産業のしくみや沿岸コミュニティの課題を体系的に理解しにくい。海が持つ複合的な価値を丸ごと示し、科学・経済・文化を横断して考えさせるカリキュラム設計が必要に思われる。また、学習の構造が「受動的」で、消費行動や地域への関与に結びつかない点も課題だ。
この断絶を超えるためには、「感情・身体・社会性」を巻き込む必要がある。具体的には、「学ぶ場」そのものの設計を見直す必要がある。たとえば、教室で概念的に学ぶのではなく漁村に泊まり、生活や生業を体感する「イマージョン型(没入型)教育」は、単なる見学とは異なる深い学習を生む。波の音で目覚め、漁師と朝の準備をし、自分が触った魚が誰にどう届けられるかを目の当たりにする。その過程で、自分が関わった魚を自分で調理して食べ、命と食のつながりを五感で経験する。このような体験は、情報ではなく「関係性の記憶」として子どもの中に残り、生涯を通じて価値判断の土台となるだろう。
次に重要なのは、「教育の担い手」の多様化である。学校の教員だけに海洋教育を任せるのではなく、漁師、研究者、料理人、デザイナー、映像作家など、多様な立場の人々が“教育者”として関われる仕組みを整えることが不可欠だろう。たとえば、漁業者が子どもたちの前で語る「海のリアル」は、教科書に勝る学びとなるだろう。また映像やアートを通じて海を表現するワークショップは、感性と言語をつなぎ、個人の内省を深める装置となる。
さらに、海の教育を「個別の体験」にとどめず、「継続的な市民活動」へとつなげる工夫が求められる。たとえば、学んだ子どもたちが学校新聞やSNS、地域メディアで自分たちの視点で海について発信する「情報発信型プロジェクト」や、学んだ知識をもとに校内での魚食キャンペーンやプラスチックごみ削減運動を実施する「学びの循環型アクション」は、教育と社会実践を往復させる構造をつくることができる。
また、海の教育を都市部の人たちにも「自分ごと」として感じさせるには、日常の暮らしの中に「海や生産者への接続点」を増やす工夫も必要だろう。都市のスーパーマーケットで販売される水産物に、漁港の写真や漁師の声を添えた「ストーリーパネル」を設置したり、食堂で「今日の魚は〇〇県の〜さんが獲ったマダイです」と表示するなど、小さな情報の仕掛けが日常と海の距離を近づける。海洋教育とは、学校の外にも広がる「社会全体の学びのエコシステム」である。
日本が本当の意味で「海洋国家」であり続けるためには、知識の蓄積だけでは不十分だ。海と共に生き、行動する市民を育てることが、教育の目指すべき次のステージではないだろうか。こうした文化的・経済的価値の再構築を支えるには、漁業者、料理人、観光業者、教育者、研究者など、海に関わる多様なプレイヤーが連携し、相互に知見や資源を共有する、いわば「海の協働圏」を築くことが今後の鍵となるはずだ。
未来の海と漁業の姿を描く
(これは未来の日本の海と漁業の物語だ。)2030年の春、宮城・女川の若手漁師・磯海沙也加は、父の古い手帳の代わりに手のひらほどの端末を操船室に取り付けた。電子ロギングで魚を揚げるたび種類と重量を入力すると、位置情報と気候・海水気温データとともにクラウドへデータが飛ぶ仕組みだ。翌朝、漁協が配信してくるのは「今日はマダイ30箱まで」「この湾の産卵場は3日休ませよう」という具体的なアドバイス。根拠は前夜にAIが集計した資源カルテにあると聞き、彼女は初めて「海にも体温計がある」と実感した。
女川漁港の魚箱には新しいシールが貼られ始める。QRコードをかざすと、魚が揚がった海域の水温履歴と資源評価が表示されるだけでなく、その魚が養殖ブリ用の飼料になった際に削減する配合飼料量まで確認できる。港の背後には二基の浮体式風車が回るが、沙也加が誇らしげに指差すのは、その足元に揺れる昆布棚と箱型いけすだ。「この昆布がブリのビタミンになり、余った葉は藻場再生の苗になる。風車ひとつで海が回るんです」。
漁協のR&D部門と呼ばれる若手チームは、藻場が吸い込んだ二酸化炭素を1口500円でクレジット化し、東京の大手コーヒーチェーンへ売り込む。豆を焙煎する際の排出分を相殺したいというニーズと噛み合い、港には小さな資金の川が流れ込むようになった。
資源管理が奏功して漁獲量も回復傾向が鮮明になり、政府は天然漁獲と養殖を合わせた生産量が20年前の水準に回復したと発表する。特に伸びを牽引したのは養殖だ。風車併設いけすと閉鎖循環型陸上養殖(RAS)は、水質センサーが餌の無駄と排水の窒素を半減させ、電気は再エネ比率が50%超だ。品質の高さに加えてサステナブルな養殖生産の裏づけを得て欧州のバイヤーが目を留め、単価が跳ね上がった。
国産水産物の輸出額は1兆円を突破し、かつて売り場を譲ったノルウェーサーモンに代わり、フードマイレージも少ない“国産フレッシュサーモン”が並ぶ光景が定着する。国内では資源が回復したサバ缶の棚が再拡大し、食用水産物自給率は80%に復帰。魚離れが止まっただけでなく魚食の見直しが進んで、若者の間で「地元フィッシュバーガー」がヘルシー志向のトレンドになる。
2045年、女川に再び立つ沙也加は、父の世代が憧れた遠洋マグロではなく、港で回る水素燃料船の水素発生装置を指差す。「余った電気で水を分解してできた水素で、この船も走るんです」。揺れが少なく、沖合でも燃油の匂いがほとんどしない。彼女の船が獲ったサンマは、ドローン便で仙台の寿司屋へ運ばれる。生産者の顔とプロセスの見える魚の情報は、店と客にとって鮮度と同じ重みを持つ魅力だ。
夏、港の祭りで大漁唄が響くと、スクリーンに今年伸びた藻場とサンゴの映像が重なり合う。三陸沿岸は2020年比で藻場面積が40%増え、固定した炭素は国内排出の6%を相殺しているという。祭りの市場に並ぶのは風車電力で燻製されたサバ、藻場酵母で発酵させたクラフトビール、RAS産サーモンの棒鮨。誰かがレジに差し出すスマホには、ブルーカーボンクレジットの残高が光っている。海を守る数字と味わう文化が同じテーブルに着いた瞬間だ。
電子ロギングとAIで「測り」、循環型養殖とサステナブル漁業で「育て」、地産の魚介・海藻と新たな魚食文化で「楽しむ」。この三つの歯車が噛み合ったとき、日本のブルーエコノミーは、資源を増やしながら利益を積む産業へ、そして暮らしを彩る文化へと成長する。青い未来は、すでに静かに姿を現している。(終)
脚注
- 海上保安庁 「我が国の海洋権益(2024年版)」EEZ 面積と国際順位 ↩︎
- Sarma, V.V.S.S. & Nomura, H. “Primary Production in Northwest Pacific,” Progress in Oceanography 97 (2012) ↩︎
- 海洋研究開発機構(JAMSTEC)・国際共同調査 「北西太平洋海洋生物多様性アセスメント」(2021 年):確認種数 33,629 種 ↩︎
- WoRMS Editorial Board “World Register of Marine Species—Statistics” (2022) ↩︎
- OECD (2021) The Ocean Economy in 2030 – Update : Chap. 5 “Marine Biotechnology and Bio-based Materials” ↩︎
- 東京大学大気海洋研究所 加藤泰浩ほか 「南鳥島沖レアアース泥の資源量評価」(2022 年) ↩︎
- 再生可能エネルギー総合研究所『日本近海洋上風力ポテンシャルマップ 改訂 2023』固定基礎 176 GW、浮体式 542 GW、総計 952 GW ↩︎
- 経済産業省・国土交通省・環境省 連名 『洋上風力産業ビジョン(第1版)』2021.12 ↩︎
- 農林水産省 『漁業・養殖業生産統計年報 令和4年(速報値)』「第19表 漁業・養殖業の産出額」 ↩︎
- 農林水産省『食料需給表 令和5年度(速報)』別添「品目別自給率」 ↩︎
- 石毛直道 『日本の食文化史』 講談社学術文庫 (2001) ↩︎
- 『日本書紀』の天武12年条は、日本最古級の“鮭の年貢”記録としてしばしば引用される。 ↩︎
- 菊地武顕『すしの本』岩波新書 (2019) ↩︎
- 味の素グループサイトなどより ↩︎
- 文化庁 ユネスコ無形文化遺産「和食:日本人の伝統的な食文化」登録記録(2013 年) ↩︎
- 農林水産省『漁業・養殖業生産統計年報 1984・2022』 ↩︎
- 『ウェッジ Online』特集「危機に立つ日本漁業」 2023-04-19 ↩︎
- 水産庁『水産白書2023』(令和5年度) ↩︎
- 水産庁『食料需給表(2023 年度)』:水産物自給率 54 % ↩︎
- 水産庁 『磯焼け対策ガイドライン』(2009) ↩︎
- 気象庁「海面水温長期変動グラフ」( 2024/03):日本近海 +1.33 ℃/100 年 ↩︎
- JAXA EORC(地球観測研究センター)GCOM-W1/AMSR2 海面水温異常マップ ↩︎
- 熊本県・鹿児島県合同被害速報 (2024.9) ↩︎
- 環境省那覇自然環境事務所「令和6年白化モニタリング速報」 ↩︎
- Ellen MacArthur Foundation & WEF The New Plastics Economy(2016)—「2050 年に海のプラスチック量が魚を上回る」試算 ↩︎
- 農林水産省・水産庁「水産基本計画(第5次)」 ↩︎
- 陸上の水槽内の水をろ過・殺菌しながら繰り返し循環させ、排水を極限まで減らして魚を通年高密度に育てる養殖方式 ↩︎
- https://bizgate.nikkei.com/images/projects/blueocean/BOFProposal.pdf ↩︎
- 文部科学省『学習指導要領解説 2017』および 2022 改訂資料 ↩︎